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2006年08月19日

日中男尊女卑比較

すっかり更新をサボってしまいました。
忙しかったというよりは、心労が溜まってブログを
書く気分でなかったわけですが、よく寝てよく食べて
よく歌って踊った(笑)ら8割がた復活しました。
(管理人はアルコールがダメなので飲むというのは
ない)
今回気がついたのですが、歌う&踊るというのは
落ち込み解消に大変効果的ですね。


さて類は友を呼ぶ、というのはこの場合適切な使い方
ではないような気もするが、最近友人のリャオ君も
袋小路状態に陥っている。

リャオ君は管理人が広州にきてすぐのころに知り合った
のでもう3年来の友人なのだが、当時から日本人の
彼女と付き合っていて数学科の学生ながら日本語を
勉強していた。

2人は彼女が広州に留学に来た際に知り合ったのだが、
彼女は大学4年次を終了するために当時日本に帰って
おり、
彼は独学で日本語を勉強していた。

彼女は去年の3月に日本の大学を卒業後、広州にやって
きて広州の日系企業に就職、1年くらい中国勤務を経験
しながらリャオ君が大学院を卒業するのを待ち、結婚
して2人で日本に行くというのが当初の計画だった。

が、1年半近くが経過した今でも2人はまだ広州にいる。

理由はリャオ君が日本に行った後、仕事が見つかるかどう
かが心配で日本行きに踏み切れないからだ。

彼女の家庭はわりに裕福らしく、ご両親も2人が日本に
くれば経済的にはできるだけサポートする、と言って
いるそうなのだが、それはリャオ君にとってメンツ
丸つぶれ
になることを意味する。

日本に何度か行ったことがあり、日本がすっかり気に
入っていて、彼女のご両親も信じられないくらい良い
人達だった、というリャオ君だが、自分がプータロー
になるかもしれない、という恐怖感が日本に行きたい
気持ちにまさるらしい。

「だっていつまでも僕がプータローだったり、すごく
条件の悪い仕事しか見つけられなかったら、そのうち
彼女に見捨てられちゃうでしょ?」

リャオ君は通訳をやってもかなり高級な部類に入る
くらいの上手な日本語を話すので、仕事がみつからない
ということはないと思うのだが、よくよく聞くと本音は
もうすこし違うところにあるらしい。

「彼女のご両親はとてもいい人だけど、親戚とか
近所の人達は中国人に対して偏見があるかもしれないし、
それは絶対耐えられない。」

それだったら2人で中国で暮らせば?と思うのだが彼女
自身が中国永住を希望しておらず、ご両親は一人娘
が心配で気が気でなく、早く帰ってこいと毎日催促
なのだそうだ。

「それにね、彼女はお母さんみたいに早く結婚して
子供を産んで専業主婦になりたいんだって。日本人の
女の子ってみんなそうなの?」

「それは人によるけど、まあそういう人もたくさん
いるよね」

「ハア....」

3年前に知り合った頃は、卒業したら結婚して日本に
行くんだ、日本人の彼女がいてみんながすごく羨まし
がってるんだよ、と得意げだったリャオ君であるが。

中国で(というか世界中で)日本人女性が人気がある
というのは結婚したら家庭に入って夫に従うという、
ステレオタイプなイメージがあるせいだろう。が、
夫に従わせるには夫が男の責任を果たさなくてはなら
ない、という点がすっぽり忘れられている。

今になってこの点に気がついたリャオ君。
管理人は「考えててもしょうがないからとりあえず
日本に行ってダメだったら帰ってきたら?」と
無責任にいきあたりばったり作戦を勧めたのだが
彼の反応は鈍かった。

中国人に「日本人の男は男尊女卑なんでしょ?」と
言われると非常に違和感を覚える。男尊女卑の定義
が難しいが、管理人に言わせると中国男性の方がより
その傾向が強い気がする。

リャオ君の場合のように、彼女のご両親が裕福で経済
的にサポートしてあげる、と言われたら喜んで結婚
する日本人男性は結構いそうだが...(そんなことない
ですか?)

ストレスが溜まって帯状疱疹が出てしまった、という
リャオ君を励ましながら、申し訳ないけど自分の
状態はこれよりマシかな?(客観的には管理人の事態
の方が悪いと思うが、ストレス耐性があるという
意味で)と、自分をも励ました夜だった。


さて来月から異動のため、ディープ”広州”生活
ではなくなる予定です。
(これも心労の原因のひとつなわけですが)
中国に来たばかりの時は言葉もできず、毎日必死で
ホームシックにかかる暇もなかったのですが
こんなに広州に馴染んだ今となっては新しい土地に
行ったら広州シックにかかりそうです。。。
でも新たな土地で新たな中国を発見できるかな、と
いう期待もちょっとあったりします。

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2006年05月13日

中国のネット恋愛-その2

さて、前回のつづき。

両親の代にカナダに移住したエリックは、完璧な
中国語を話すが中国語の読み書きはできなかった。

アンは結婚する相手としては考え方や生活習慣が
同じ中国人が良いと考えているので、エリックが
中国語の読み書きができない点については多少
ひっかかっていた。

が、その次の週末も、その次もエリックはマメに
深センから車を運転してアンに会いにきた。
他に女がいるような様子はまったくなく、アンの
警戒心も緩みはじめ、中国語の読み書きができない
くらいは目をつぶるか、と思い始めた頃、事件は
起こった。


アンはイングリッシュネームを勤務している外資
系の会社だけで使っていた
(管理人は最初仕事の関係で
彼女と知り合ったので、彼女をアンと呼んでいる)

だが、彼女は個人的な友人や家族の間では中国語名で
呼ばれる方が好きで、3回目にエリックに会った時、
彼に自分のことを中国語名で呼んでくれ、と頼んだのだ。

ところがエリックの返事は

中国の名前で呼ぶなんてなんだか変な感じ。英語名
の方がかわいいと思うよ」

だったのだ。


アンはこれを聞いてカチンときてしまった。

「その時は自分だって中国人のくせに、ってすごく
腹が立った。だけど後で冷静に考えたら、な〜んだ、
彼はただの老外(ガイジン)だったんだ、見た目も
話す中国語もまるっきり中国人だからうっかり
勘違いしたけど、中身は全然違うんだって、
そう気がついたらなんかすーっと冷めちゃって。」


アンがエリックに転職して上海に行くことを告げると
「あ、そう」とそれっきり見事に連絡が途切れた
そうだ。


ネットで知り合うってなんだか虚しい、って思った。
だってこれが普通に知り合ったんだったら
引越ししても少なくとも友人としての関係は続く
でしょう? こんなに跡形もなく消えうせるなんて」


アンはGWを利用して上海に引越し、今は新しい会社に
勤務している。

「上海で知り合う人の方が自分に合っているみたい」、
だそうだ。


アンはもともと太っていなかったのですが、上海に
行く前にダイエットして2kg痩せ、気合を入れて
引越して行きました(笑)

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2006年03月27日

ちょっと、反省。

管理人の勤務する会社は内勤組と外勤組に分かれている。
管理人は内勤チームなのでたまに出張がある以外は
基本的にオフィスワークである。

が、先週外勤チームの人手が足らず、管理人も急遽
駆り出されることになった。管理人ともう一人、
見かけない顔の社員が呼び出され、二人でタクシー
に乗り込んで現場に向かった。

タクシーの中でお互いに自己紹介したら、このR君は
まだ入社して1ヶ月の新人だった。外勤組なので
管理人はこのときまで顔を合わせたことがなかったのだ。

しかもよくよく聞いて見るとR君は新卒でこれが
一つめの仕事だという。

中国の大学の多くは6月卒業なのだが、多くの学生が
卒業試験が終わったらすぐ(人によっては卒業試験
の前から)働きはじめる。
就職難なので、採用されたらすぐに出勤するという
条件でないとなかなか採用されないのだ。

そういうわけでR君も正確には、広州市内の専門
学校をまだ卒業していないのだが、もう働きはじ
めているのだと言う。

中国の大学生は勉強が忙しいので日本の大学生の
ようにアルバイトに精を出す人は少ない。学業に
専念しているのは良いことだとも言えるが、日本の
新卒にくらべると社会経験に欠ける分、幼い感じ
がする人が多いような気がする。

R君もまさにそんな感じで、入社1ヶ月たっても
本当に右も左もわかっていない様子であった。

R君 「NINIは入社してどれくらい?」
NINI 「4ヶ月経ったとこ」
R君 「じゃNINIも初級?」

管理人の会社の外勤チームは初級職員から始まって
中級職員、高級職員、主任、見習経理(マネージャー)
、経理と職位が上がっていく。

R君は当然初級職員なのだが、管理人も入社4ヶ月
なので同じく初級だと思ったらしい。

実際には管理人はトシを喰っている分、最初から
経理なのだが、まあ(初級)経理だよな、と思い


NINI「そんなとこ」

とお茶を濁して仕事大変?と聞いてみた。

R君「こんなに大変だと思わなかったよ〜」

管理人の勤務する会社の外勤職員は朝早くから夜
遅くまで駆け回らなければならず、R君のような
若者でも
体力的に厳しい。

しかも給与のほとんどは歩合なのでプレッシャーも
大きく、新入社員のほとんどが短期間で辞め
てしまう。

R君「でも、面白いこともあるよ。僕のチームには
  黒人もいるんだ。」

NINI「ああ、Sさんね。彼は中国語上手でしょう?」

R君「うん。外国人なのにあんなに中国語が上手
  なんてびっくりした。だけど漢字は書けない
  から旅費精算とかは僕ら新入りが代わりに
  書いてあげるわけ。

  でも、ウチの会社に日本人もいるとは思わな
  かった。今まで外国人と話したことなんか
  一回もなかったのに
。すごいなあ。
 」

NINI「学校の友達ももうみんな働いてる?」

R君「まだ仕事見つかってない人も多いよ。僕は
  早々に、しかもこんな立派なオフィスビルに
  ある会社に仕事が決まってラッキーだと思う。
  仕事は厳しいけど、1年は絶対に辞めない。
  短期間で
辞めたら自分のためにならないと
  思うから」


日本人というだけでなぜか同僚より多くの給与を
もらっているということをついつい忘れ、ちょっと
忙しくなると不満が出てしまう管理人。

 

今回はちょっと、反省しました。

 


本文と全然関係ないですが、ブログ投稿用のページ
上部に「どんなことが起きても、さくさく動くブログ」
と書いてました(爆笑)
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2006年03月14日

アシエンのこと

彼女のことは書いていいものかどうか、ずっと迷って
いたのだが...

アシエンは私が中国に来てまもなくできた、広州では
最も古い友達の一人だ。道を聞いたのがきっかけで
知り合ったのだが、管理人がほとんど中国語が話せ
なかったころからいろんな機会に遊びに誘ってくれ、
すぐに仲良くなった。

彼女は南方系の、瞳が大きくてはっきりした顔立ちの
綺麗な子で、また話し好きの明るい性格のため、友達
がとても多かった。

また、ただのかわいい女の子というのではなくて、
ストリートスマートというのか、学校で学ぶこと
以外の”いろんなことがわかっている”タイプだった。

これは彼女が生まれつき頭がいいせいだと思って
いたのだが、それだけではなく、彼女のそれまでの
経歴によって培われた部分が大きいらしい、と
後からだんだん分かってきた。


アシエンは知り合った当時、既にもう27歳だった
のだが、管理人が中国語を勉強していた大学の、
2年の社会人コースに入学したばかりだった。


彼女は広西省の山村の生まれで(実家の写真を見せて
もらったことがあるのだが、すさまじいボロ家だった)、
高校を出たあと、深センや珠海など華南地方の都市部で
ウエイトレスや店員の仕事をしていたのだそうだ。

ずっと大学に通いたいと思っていたのが、高校を出て
10年近くたってやっと夢がかなったのだ、とずっと
後になって教えてくれた。

ただ、社会人コースとはいえども学費は安くなく、
彼女のような経歴では自分で貯めたお金で2年間
勉強に専念するのはどう考えても無理である。

ある時、アシエンが珠海(広州から車で2時間強の
マカオに接した海辺の都市)にある彼女の”家”に
休暇で1週間帰るのに管理人もついて行った。

この1週間の間、珠海でプラスチック部品工場を
経営しているという男性の友人が、車でわれわれ二人
をあちこち連れて行ってくれたり、食事をごちそう
してくれたり、休みの間の費用をほぼ全部負担して
くれた。

この時、彼女の学費や生活費の出所に見当がついた。

この男性は気前がいいだけでなく、面白くて管理人
にも親切にしてくれ、とてもいい人だったが、
アシエンはこの男性のことを”友達”だと言っていた。

彼女は以前に2年ほどつきあっていた相手がいたのだが、
彼がその前に付き合っていた彼女がイタリア留学から
もどった途端、アシエンを振ってその彼女とよりを
戻してしまった。それ以来、アシエンは自分はBFは
いないのだ、と言っていた。

その子はイタリアで美術の勉強をしてきたんだって。
きっと家はすごいお金持ちなんだと思う

普段とても温厚な彼女が、少し怒ったような口調で
言ったので驚いた。


それからしばらくたった、ある天気の良い日曜に
二人で散歩したことがあった。

「この間、久しぶりに実家に帰って小学校の同窓会に
出たの。皆もう結婚して子供がいて、私が大学に
通っているって言っても”大学なんか行って何になるの?”
って変人を見るような目で言われた。

私は、なんでだかわからないけど、小さいころから
自分は周囲の皆とは違う、と思ってた。こんな山奥で
一生を終わるんじゃなくて、きっと外にでていろんな
世界を見るんだって思ってた
。広州に来て満足だけど、
まだこれからいろんなものを見なくちゃ」


この後、例の珠海の男性の会社が倒産したとアシエン
から聞かされた。ちょっと心配になったのだが、
アシエンは相変わらず学校生活を続けており、
金銭的にはなんとかなっているらしかった。

この頃から、アシエンからの連絡が段々疎遠になった。
こちらから電話をしようとしても、しょっちゅう
携帯電話の番号を変えるので、彼女から連絡してこない
限り、連絡がつかない始末。

たまに会うと、もともと美人なアシエンがどんどん
華やかな感じになっていくのがよくわかった。
いろんな新しい友人の話をしてくれるのだが、皆
自分の事業で大きく成功している人ばかりだった。

学校を卒業したら友達の会社に雇ってもらうんだ、
とアシエンは言った。

「営業の仕事がいいな。出張でいろんなところに
いったり、新しい人と知りあったりできるし」

彼女の性格からして、営業の仕事はとても向いて
いると思った。



最後に彼女に会ったのは昨年の6月。

隣の市にある、共通の友人の家に遊びに行った帰り、
管理人が遊び疲れてバスで半分寝ているときに
彼女がぼそっと隣で言った。

「今月末で学校卒業だし、仕事を探さなくちゃいけない
んだけど、やっぱりなかなかいい仕事は見つからない。
友達から借りた学費だって返済していかなきゃ
ならないのに....困ったな」

半分寝ていた管理人に向かって言ったのか、独り言を
言ったのか、よくわからなかったが、あまりに深刻な
トーンの声にびっくりして一気に目が覚めた。


実業家の”友達”は、美人のアシエンを友達や彼女に
するならウェルカムだが、30歳近くになってこれと
いった職歴のない彼女を社員に雇うのはお断りなの
だろうか?


この後、彼女からの連絡はぷっつり途絶えた。借金が
返せなくて夜逃げでもしたんじゃないかとずっと心配
していた。

ところが先週になって、急にアシエンから「久しぶり!」
と携帯メールが入った。

「今は英語学校に通ってるんだ。あ、それから
”彼”ができたの。今度紹介するね〜」


何はともあれ、無事であることがわかってほっとした。
(のでブログに書くことにした)

管理人なんかが想像するよりずっと、彼女はたく
ましいのだろう。


これからもまだまだアシエンの「いろんなものを見る」
旅は続いていくのだと思います。

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2006年01月27日

地上のパラダイス

ルームメイトの高校の同級生、鄭君が出張で上海
から広州に来たついでに我が家に遊びにやってきた。

鄭君は中国の京大、清華大学を卒業して上海でIT
コンサルタントをしているという秀才だ。
(ちなみに管理人のルームメイトは、本人曰く高校で
落ちこぼれて専門学校に進み、職人をしている)

せっかく鄭君が来たというので、もう一人広州で
働いている同級生、呂さんもやってきた。

彼女も米国プリンストン大学を卒業後、企業専門
弁護士をしているというこれまた才媛なのだが、
すばらしい経歴を鼻にかけた感じはまったくなくて、
茶目っ気のある可愛い女の子という雰囲気だ。

二人が管理人にどうして中国に来たのか?中国で
働くのと日本で働くのは何が違うか?などいろいろ
質問したので一通り答えたあと、逆に二人に将来
海外に行く気はないのか聞いてみた。

野心のある若い中国人が集まるとすぐ海外に出る
話になるのだが、この二人の回答は少し違った。


鄭君「大学のころは皆と一緒で、いつかは海外に
出ようと思ってた。大学の友達なんか束で海外に
行ってるからね。この間数えたらニューヨーク
だけで知り合いが70人以上いた
よ。

だけど、仕事で日本や欧米のクライアントと話を
するようになって、逆に中国の良さがわかったんだ。

そしたらわざわざ中国を離れる必要なんて全然
ないって気がついた。
特に上海は今世界中で一番チャンスの多い場所だと
思う。海外にちょっと遊びに行ったりしばらく働く
のはいいと思うけど、移住する気は全然ないよ」

呂さん「私もアメリカの法律事務所でしばらく
働いたけど、やっぱり両親も友達もいる中国が
私にとってはパラダイスだと気がついて
帰ってきた
の。友達は皆、勿体ないと言うけど私はどこで暮らす
かより、誰と一緒にいるかの方が大事だと思う。」

鄭君「もちろん中国には悪い点も多い。特に病気に
なったら厄介。
医者も病院も信用できない
から絶対に病気できない。僕は株もマンションも
買わないけど、健康には投資してるよ。週末は携帯も
切って必ず運動することにしてる」

呂さん「それは確かに中国の現実だよね。私の友達
でも日本に留学してそのまま帰ってこない人が何人も
いるけど、日本は皆の生活水準が大体同じだから
安心できる
んだって。中国はお金持ちはとてつもなく
お金持ちだけど、貧乏な人は本当に貧乏だから
つらくて見たくないって
。」


鄭君「僕は中学校まで電気もない農村で育ったんだよ。
両親共、出稼ぎで家にいなかったから小さいときから
何でも自分でやった。学校の学費も自分で納めに行って
ちゃんと領収書を書いてくださいって要求したよ。
6歳のときにね。ハハハ」
(鄭君はこの後、成績優秀生として奨学金をゲット、
重点高校に進学したのだそうだ。どんな環境で育っても
優秀な人は優秀なのである)


管理人「まあそこまで貧しい地域は別として、ある
程度以上の都市だったら、確かにどこで暮らしても
大して変わらないかもね」

呂さん「そう、毎日働いて、ご飯食べて、恋愛して....
どこで暮らしても一緒だと思う。」



中国人が必死に海外へ出ようとするのは、ひとつ
にはいろんな意味で中国にとどまることに不安が
あるからだと思う。

なので、海外のパスポートを取得し、いつでも
自由に海外に出られる状態をつくった後、中国
へ戻って”外国人”として暮らす人も大勢いる。


が、二人と話してひょっとすると中国が豊かに
なったことでこの現象に変化が起こりつつある
のかも知れない、と思った。

あるいはこの二人くらいのレベルになると、いざ
となればどこでも暮らせるという自信があるので
逆に出国したい、という気がなくなるのだろうか?


いずれにしても「(外国がどんなかよく知らないのに)
何がなんでも出国したい族」に比べ、生まれ育った
中国こそが自分のパラダイスと気づいた二人の方が
見ていてずっと安心できたのは確かだ。



さて、呂さんは春節のあと、結婚してBFの転勤先の武漢に
行くのだそうです。武漢も大都市ですが、彼女の能力を
活かすチャンスは広州に比べれば少ないでしょう。
それでも「誰と一緒にいるかが大事」という信念を通す
彼女はとても清々しく見えました。

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2005年10月22日

元日本兵に中国の若者が出会った

kouekikai

ピンボケですが、交易会
会場の様子。ここは
家電メーカーが集まった
フロア。

 


前回のつづき。

Tさんとのお仕事ではいろいろ印象深いことがあった
のだが、ハイライトは2日目の夜。

中国の某大手家電メーカーA社との商談がまとまり、
海外事業部マネージャーのトウさんと、部下の趙さん、
Tさん、私の4人で食事に行ったときのこと。

交易会は中国の企業にとって絶好の商機であるため、
各社ともエース(もちろん英語ペラペラ)を送り
込んでいるのだが、28歳にしてマネージャーという
スピード出世をしている
トウさんは中でもピカイチ
の切れ者だった。

日本の社会、経済事情もよく勉強していて、Tさんへの
質問も鋭いものばかり。

話が盛り上がっているわれわれのテーブルのそばには
テレビがあったのだが、夜のニュースの
時間になって、
タイミング悪く
小泉首相の靖国参拝のニュースが
始まった。


うう、気まずい雰囲気。。


いつものことだが、この手のニュースは異常に長い。
なかなか次のニュースへ進まず、だらだらやっている。

トウさんはテレビには気がつかない振りをして、話を
続けようとしてくれるのだが、Tさんの方がじっと
テレビを見ている。

そしておもむろに口を開いた。


僕らは騙されたんだ。日本とアジア全体のため
だって信じこまされて兵隊に行ったんだ。

僕の友達だって何人も特攻隊で死んだんだよ。まだ
16,7歳だったのに。戦争はじめたやつは死刑になった
ってこの罪は償えないよ。ごめんじゃすまないよ。
兵隊に行った人間は皆こう思ってるはずだ」


トウさんと趙さんの日本語は片言レベルなので、
Tさんの言ったことはほとんどわからなかったと
思うが、口調で大体のニュアンスは通じたのだろう、
二人ともびっくりした顔をしていた。

20代の彼らが、元日本兵の言葉を聞いて何を思ったか
は分からない。
「『ごめんじゃすまない』はこっちのセリフだ」と
思ったかも知れない。

ただ、中国人の中には日本人は好戦的な民族だと
信じている人が少なくない。

温厚を絵に描いたようなTさんを目の前にして、
実際には、ごく一部の人間が戦争を始めたので
あって、多くの人は強制的に徴兵されたのだと、
思い至ってくれただろうか?

 

前回の記事でも少し触れたが、Tさんは日中国交
回復前の、1977年に政府の代表団の一員として
北京や天津を訪れたことがあるのだそうだ。

Tさんたちが北京の王府井を歩くと、外国人が珍しい
ので、後ろから人民服の人々が千人単位で後から
ぞろぞろついてきたという。

国賓待遇のTさん達一行には、ガードマンがぴったり
ついていて自由に見て回ることはできなかったが、
それでもホテルに戻ると、日本語を勉強している
学生とその先生が待っていて話しかけられたりした
という。

日中間に国交がない時代に、日本語を勉強している
学生がいたとは!しかも文革終了間もないころで、
日本語を勉強して将来何かの役に立つという見通し
があったとは考えにくい。純粋に日本に興味が
あって勉強していたのだと思う。


よく言われることだが、終戦から30年後のこの頃
の方が、60年たった今よりも反日感情は薄かった
のではないか。


中国の反日感情に対して「60年も前のことを
何もいまさら」と思う向きもあるだろうが、
(私も中国に来る前はそう思っていた)
実は時間が経って事実を知る人が減ったからこそ
怖いのだと思う。

事実を知らない者は、操作された情報を簡単に
信じてしまうからだ。


Tさんのような人がまだ生きている間にわだかまりを
解決しないと、ずっと何かがひっかかったままに
なってしまうかも。。

 

といって具体的にどうしたらいいのか、私に
アイデアがあるわけではないのだが。。


交易会で盛り上がっているのは出展社とバイヤーだけでは
ありません。次回は広州の意外なところで盛り上がっている
人々の話。

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2005年10月20日

広州交易会とニッポンの老人

広州は今、秋の交易会のまっ只中だ。

交易会は正式名称を”中国輸出商品交易会”といい、
春夏年2回開催され、1957年から今回で第98回を数える
という歴史ある商品見本市だ。

中国中から1万2270社(!)が出展し、世界中から
19万人以上(!!)のバイヤーが訪れるという、
すさまじい規模で、会期中は広州中に外国人が溢れ、
ホテルは周辺都市まで満杯、地下鉄は大混雑という
具合になる。

さて、私はひょんなことから日本の某家電量販店の
社長さんの買付けのお手伝いをさせていただくことになった。

この社長さん(仮名Tさん)、御年なんと77歳!
先々週はヨーロッパで買付け、今週は広州そのほか中国の
都市をまわり、一度日本に帰って、来週末また広州に戻って
くる予定なんだとか。

いや〜恐るべし、ニッポンの老人!!(失礼!)

Tさん、交易会を回るときも昼食時以外は休憩なし。
食事の時と移動の時は、ノンストップで話をされるのだが、
この話が量販店の社長ならではの業界ウラ話がいっぱいで
いくら聞いても聞き飽きない。その大部分が企業秘密
なのでここに書けないのがとてもとても残念だ。

また、業界のリーダーとして日中国交回復前から
政府の代表団に加わり、中国にちょくちょくいらして
いたとかで、中国に対する理解も深い。

伺ったお話の中から、ごく一部だけ、差し支えない部分
をピックアップしてご紹介したい。

Tさんに、
「道を歩くときは引ったくりに気をつけてくださいね。
被害にあって警察に届けたって何の役にも立ちませんよ」
注意したときのこと。

なんと、「そんなの日本も同じ」とおっしゃる。

Tさんのお店では万引きや、駐車場にとめてある車への
泥棒が後をたたないそうだ。
なんと統計によると日本人の3%が万引き経験が
あるのだという(これは本当にびっくり)

で、私服ガードマンを雇って中高生の万引き犯を捕まえて
警察につきだしても、なんと
「プライバシーの尊重」
とかで学校に連絡しないのだという。万引きという立派な
窃盗犯が半時間ほど警察でお説教をくらって無罪放免。

警察があてにならない、警察が怖くないので犯罪が減らない
って、まるでどっかの国みたいではないか!!

また中国に対して、77歳ならではの視点というか、面白い
見方をされていた。

最近時々日本人が話しているのを耳にするのだが、

”中国で安くモノを調達して日本で売る、というより、
日本の高級品を中国の金持ちに売る、という商売の
方が儲かる
時期に来ているのではないか?"

という意見がある。

元のさらなる切り上げもあるだろうし、なるほど、と
思ったのでTさんにどうでしょう?と聞いてみた。

Tさん、バッサリ却下。その理由は;

「中国の金持ちが増えたって言ったって、ごく一部の
人の話で、ほとんどの人は食べるのにも困る
くらいなんでしょ?しかも金持ちはずるいことやったり
農民を搾取してる人、多いんだよね。そんな一部の
金持ち相手に商売したら、やっぱり同罪なんだよ。」

「日本にも戦後にこんなことがあったんだよ。金持ち
相手にずるい商売して大もうけしたやつの家に、皆が神輿
かついで突入して家をブチ壊したんだよ。あたりまえだよね。
皆が飢え死にしそうな時に自分だけ大もうけでさ。」

さて、77歳の面白エピソードはまだまだ続く!
次回(多分明日)請うご期待!!


衣料、薬品から重機まで、本当に何でもある交易会は、
中国中から勢いのある会社と、頭のキレる中国人が一堂に
集まる面白い場所です。

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2005年10月12日

白手起家 〜 ミニ・チャイニーズドリーム

昨夜、ブログを書いてあと一歩でアップロードと
いうところでパソコンが突然ダウン。

原因は内部の電源ユニットの故障。今日、新しい
電源ユニットを買ってきて、取替えようとフタを
明けてみたら、古い電源ユニットは恐ろしい
ほどに真っ黒だった。たぶんホコリでショートした
のだろう。

昨日書いた内容をもう一度、と思ったのだがホコリの
件で我が家に時々来てもらっている掃除屋さんの
件を思い出したので、こっちを書くことにする。



我が家は三方が窓。非常に風通しがよく夏でも
涼しくて快適なのだが、その分砂ぼこりも多い。

毎日掃除しても「いったいナゼ?」と思うくらい
あっというまにホコリだらけだ。

パソコンの中が真っ黒になったのも無理はない。

おまけに広いので自分で隅々まで掃除するのは
大変な労力を必要とする。なので、時々掃除屋さん
をお願いして窓掃除などをしてもらっているのだ。

さて、掃除屋の王さんを知ったきっかけは以前借りて
いたアパートに広告チラシが入っていたことだ。

1時間5元で徹底掃除!」

....1時間5元(約70円)って一体どんなサービス
内容??

興味シンシンに思ったところへ、タイミングよく
翌日午後、ちょうど引越しをするところだった。
そこで、入居する前に新居の徹底掃除をしてもらおうと、
電話して翌日午前中に来てもらうことにした。

実は、「どんなむさくるしいオヤジがやって来る
んだろう・・?」と恐る恐るだったのだが、現れた
王さんは意外にもこざっぱりした身なりの女性だった。

大変暑い日だったのだが、大汗をかきながらもてきぱき
掃除をしてくれ、もともと大して汚れてもいなかった
部屋は、4時間でどこもかしこもピカピカになった。

掃除終了後、出前をとって一緒にお昼を食べながら
いろいろ話をした。

実は王さん自身が掃除会社の社長で、この時はまだ
自分の会社をたちあげたばかりだった。

社員は河南省から来た王さんの兄弟姉妹や親戚7人。

一般に掃除会社は従業員がクライアントの家のモノを
盗んで逃げたりするのを防ぐために身元の確かな親戚や、
同郷の者だけを雇うのが通常なのだそうだ。

王さんは1年前、河南省にいる両親に小学生の娘を預け、
知人が経営する掃除会社で働くためにご主人と広州に
出てきた。

「両親は『何も他人の家を掃除するなんて仕事をしなく
ても、贅沢しなければ十分食べていけるのに。。』
と反対したんだけどね。子供のことを考えるとお金は
あったほうがいいし、それに正直言うと私自身も
都会がどんなだか一度見てみたいと思って」

「最初は知らない土地で怖かったけど、お客さんは
いい人ばかりだし、いろんな家に行けるのは楽しいし、
この仕事が気に入ったわけ。この仕事は仕事を
受けるための電話さえあればできるから、自分で始める
ことにしたんだけど、いざ始めてみると宣伝用のチラシ
印刷代とか電話代とか意外に経費がかかって大変」

そんな話をしていると向かいの家のオバサンが開けっ放し
にしていた玄関のドアから覗いてきた

「へえ、綺麗に掃除したわねえ〜。今度私の家も
お願いしたいんだけど」

こうして、王さんはあっさり週に2回定期的に掃除にいく
得意先をゲットした。この後、このオバサンが隣近所に
宣伝したらしく、王さんや他の社員の姿をこのあと、
マンションの敷地内でちょくちょく見かけるように
なった。

王さんの会社は、この後もどんどん得意先が増えて、
今では田舎の親戚縁者を大勢広州に呼び寄せている。

王さん自身は今は外には出ず、電話営業に徹する
ようになったので、今私の家に来ているのは妹の
アメイだ。

アメイは学校に行ったことはあまりないようだが、
その分自分で考えてモノを話しているので、彼女と
話すのは面白い。

(ちなみに、横領事件の話をして「そういうこと
をする人は頭がおかしいんだ」と、一番マトモで
私の聞きたかったコメントをしたのは彼女だ)

「お姉さんは広州に行く前から『一生懸命働く
気さえあればきっと何とかなる』
って言ってたけど、そのとおりになった。本当に
すごいと思う」

わたしもそう思う。

派手なサクセスストーリーではないが、王さんが
中国人が尊敬する
白手起家(裸一貫から身を起こして成功すること)」
の一人であることは間違いない。


王さんの今の最大の悩みは田舎においてきた娘を祖父母が
甘やかすので、学校の成績がガタ落ちになってしまった
ことだそうです。

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2005年10月03日

広州初日の思い出(ザンゲ)

突然ですが、実は管理人は性格悪いです。

未だに時々思い出しては「あれは悪いことした
なあ...」と思っていることがあります。

それは初めて広州にやってきたおととしの8月末のこと。

某中華系航空会社で来たのですが、後ろの席が出張
らしい日本人ビジネスマン二人でした。

どうやら海外に行くこと自体が初めてのようで、
機内でも興奮ぎみ。

スチュワーデスが入国カードを配りにくると;

「なんかくれましたよ」
「これ書かんとあかんちゃうか?」
「どうやって書くんや。わからんわ」

と大騒ぎ。二人のやりとりが面白かったので
聞くともなしに聞いていました。

4時間強のフライトが過ぎてとうとう着陸したの
ですが、外は大雨。それはともかく、機体は
滑走路で停止したまま、ターミナルビルに移動
する気配がありません。

そこで中国語と英語のアナウンスが。

なんと台風のため広州に着陸できず、福建省の
アモイに着陸していて、このまましばらく様子を
見るのだとか。

後ろの二人はなんとか日本語のできるスッチーを
つかまえたのですが、問題は「アモイ」が中国語
の発音では”シャーマン”となり、このスッチー
がそのまま”シャーマン”と言ったことです!

「なんや、広州とちゃうとこにいるらしいで」
「とにかく山田課長に電話したらどうですか?」
「そやな、そうしよ」

どうやら現地に駐在員がいる様子。

「あ〜もしもし、山田課長ですか。なんか広州の
近くの"シャーマン"ていうとこに降りたみたい
なんですけど...」

ひとしきり説明をした後、彼は携帯電話を切り;

「山田課長、車で迎えに来てくれるんやて」

え?機内誌の地図で確認すると、広州とアモイは
直線距離で500km以上離れているのですが..?
『山田課長』はおそらく広州にいる人だと思われ
ますが、何か勘違いしてないでしょうか?

言ってあげようかな..

でもずっと盗み聞きしてたように思われても
ナンだし、(実際してたのですが)それにひょっと
して『山田課長』はアモイにいるのかも....

と躊躇しているうちにまたアナウンスが。
台風が通過したので、これから広州に向かうとか。

が、後ろの二人は聞き取れないので、ただただ動転!

「わ〜ナンや、何言うとるんや!」
「日本語で言うてくれ〜」


      ・・・・・・・・・・・・・・

      ・・・・・・・・・・・・・・

      ・・・・・・・・・・・・・・

 


すいません!!

二人の慌てぶりがあまりに面白すぎて
事情を教えてあげたくなくなりました!!

そして機体が動きだしました。

「おい、動きだしたで!」
「ターミナルビルに行くんちゃいます?」
「なんか感じ違うで。わ、飛んだ! 」


....もしも、あのときのお二人がこのブログを
見ていらしたら謝ります!ごめんなさい!!


その後『山田課長』は一体どうなったのでしょうか..??

反省してますので、クリックお願いします。

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2005年09月24日

中国人が見た「失われた10年」

先日、夜中にシンセンから広州まで長距離
タクシーで移動した。

本当はバスに乗って帰るつもりでシンセン駅まで
行ったのだが、最終便に乗り遅れてしまったのだ。

あきらめてホテルに泊まるか....と思っていた
ところ、長距離タクシーを捜しているらしい、
身なり怪しからぬおじさんを見つけた。聞くと
広州へ帰るところだという。自宅も近いことが
わかり、相乗りすることにした。

(注:シンセンの長距離タクシーは黒社会
(ヤクザ)が仕切っているとか。危ない目に
 あったという話は聞いたことがないが、安易に
 利用しない方がいいのは言うまでもない)

このおじさん、客引きに来た長距離タクシー相手に
値切りに値切って180元(約2500円)で我々2人の
自宅まで行ってもらうということで落ち着いた。
2人で割ってひとりあたりたったの90元。
バスや電車を利用するのとさして変わらない。

タクシーに乗り込み、聞いてみるとおじさんは
偶然にも仕事で日本に1ヶ月ほど滞在し、香港
経由で帰ってきたところだという。

自動車部品を買い付ける仕事をしていて、80年代
半ばから日本や欧米を行き来しているそうだ。

「最初に日本に行ったときは驚いたね〜。どこも
かしこもピカピカで、テレビや映画で見るよりも
ずっとすごかった。夢みたいだったよ。」

中国は改革開放政策が始まったばかり。グレー一色の
町並みに人民服の人々が歩いていたころだから、
日本の光景は彼の想像をはるかに超えていただろう。

「なんだか日本全体が活力に溢れている感じで、
日本語ができない自分が商談に行っても、どの会社も
真剣に話を聞いてくれたんだ。皆が未知のチャンス
に前向きだった。

 だけど最近は違うね。新しい取引先なんて開拓
できない。危険な橋を渡りたがらないんだ。」

「そうなんですか」

「例えばちょっと別の例だけどね、日本で携帯電話
がないと不便だから買うことにしたんだ。そしたら
日本に住所がないと買えないっていうんだよ」

「犯罪を防止するためですかねえ。レンタルもあり
ますよ」

「レンタルは割高だし、第一、日本に行くたびに
番号がちがうと、取引先の人が不便だろ?パック
料金1年分を現金で前払いする、って言ってもノー
なんだよ! ごくわずかな危険を恐れるばかりに
絶対ビジネスチャンスを失ってるよ。

....最近日本に行くたびに思うんだけど、景気が
悪いとはいっても街に行き倒れてる人がいるわけ
でもないし、税収が足りないというわりに道路
だってキレイに舗装されてる。」

「それは表面的なものですよ。国の借金はすごい
んだから」

「それにしてもね、日本全体が必要以上に自信を
失ってる気がするよ。僕は日本語は話せないから
あくまでも雰囲気で感じるだけだけど」

 

確かに、私自身もたまに日本に帰って驚くのは、
日本のテレビや雑誌が暗いニュースばかりだと
いうことだ。

気分が悪くなるので、日本に帰るとバラエティ
番組しか見ない。

(話がそれるが、TVとインターネットの統合、と
いう言葉を聞くようになって久しいわりに全然
インターネットでテレビが見られるようにならない。
有料でもいいから日本の民放の番組をネット配信
したら見たい人は多いと思うのだが)

実際に景気の悪い話は多いのだろうが、「年収
300万円時代」
とか大騒ぎで取り上げられると、
これから社会にでる若者までどんよりしてしまい
そうだ。

客観的に見れば日本の方が中国より条件がいい点
はいくらでもある。道路や発電所などの産業に
必要なインフラが整い、ほぼ全国民が読み書きと
掛け算の九九ができる
というのはすごいことだ。

にもかかわらずあきらかに日本の方が元気がない。

中国と違って、既に社会が成熟している分、経済
成長率が横ばい、またはマイナスになっているのは
事実だが、それを悲観的に捕らえるか、「社会が
成熟した」と捕らえるかで
気分は大きく違うのでは
ないだろうか。

中国のメディアは基本的に政府が「国民に
こういう風に思わせたい」
ということしか
報道しないので問題は大きい。

だが、日本のメディアも必要以上に不安を煽り立
てている点で同様に問題は多いな、と広州に来て
から改めて思うようになった。


ちなみに日本のTV番組のインターネット配信が実現
たら管理人は「行列のできる法律相談所」と
「探偵!ナイトスクープ」が切に見たいです

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2005年09月17日

Mr.Moonlight

明日は中秋の名月(中国では中秋節という)だ。

中国では中秋節は1年のうちでも特に大きい
お祭りで、この日は会社も休みだったり、半日
出勤だったりする。

伝統的にはもちろん家族で過ごすのだが、最近の
若者は実家を離れて都会で働いていたりするので、
友達や恋人と過ごす人も多い。

昨夜、かなり久しぶりにQQ(中国のチャット)を
したら、昨年のGWに福建省を旅行したときに知り
合ったリョウ君がオンラインだった。

知り合ったときは大学生だった彼だが、今は福建省
の省都、福州の役所で働いている。

NINI  「中秋の名月は?家族と過ごすの?」

リョウ君「そう、彼女の実家が遠くて帰れないから彼女も
     一緒に。この機会に両親に紹介しようと思って」

NINI  「お〜、楽しみだね〜」

R君   「でもさ、実は去年の中秋節は悲惨だったんだよ。
     前の彼女を両親に紹介するつもりだったのに、
     直前でフラれちゃってさ」

NINI  「なんで?」

R君   「彼女は短大に行ってたから、僕より1年先に卒業
          して、遠くにある実家の方で就職したんだ。
     引きとめたんだけど、『将来のことを考えるほど
     には、あなたのことは好きじゃない』
って言われ
     ちゃった。」


アイタタタタ......


R君   「元々僕から告白して、最初断わられたんだけど
     『試してみるだけでもいいから!』
     って粘って付き合い出したんだよね。だから
     彼女にしてみれば『試してみたけど、やっぱり
     ダメだった』っていうことなんだろうけど。」

NINI   「........」

R君   「でも本当に彼女のこと好きだったんだ!

     フラれた後は彼女のことすごく恨んだよ。
     だって、つきあっていた1年の間は一緒に
     いて本当に楽しかったんだ。だけど、
     僕もまだ学生で彼女に何の約束もできないし
     .....あの時は本当におちこんだよ。
     
     でもね、後から共通の友達に彼女も傷つい
     てて、実家に帰ってからもずっと、何かに
     つけて僕のことを話題にしてる、って聞いた
     んだ」

NINI   「うん、元カノも絶対傷ついたと思うよ」

R君   「今の彼女は同じ大学の卒業生で、一緒に
     いてとてもラクなんだ。

     なのに今でも元カノのことを思い出すと
     いうのは...これってひょっとして....

NINI      「 ? 」

R君   「僕は浮気者じゃないよ(笑)NINIが中秋節
          の話題を持ち出した
から、ちょっと思い出
     しただけ。」

NINI      「ハハ。分かってるよ。みんな同じだって。
     最初の恋人とか、一番好きだった相手と
     うまく行く人なんかめったにいないよ」

R君   「そうかもしれないね。だけど、努力して
     感情を育てることはできるし、それでも十分
     幸せになりうるんだ。もしかしたらベストの
     幸せではないにしても

NINI    「......」

R君   「二人の人間が一緒にいて、お互いに惜しみなく
          与え合い、相手を大事にすることを忘れなけれ
          ば、きっとハッピーになれると思うんだ」


管理人の翻訳能力が低くて、R君の言葉の深さがイマイチ
うまく訳せないのですが、何かすごく感動した週末の夜
なのでした。


本日もブログを読んでくださった方々へ...

中秋快楽!

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2005年09月04日

出国物語-その3

3人の中でダントツ若い先生だったセキさんは
まだ25歳。

既出の二人のように飛びぬけて豊かな家庭の
出身というわけではなく、高校を卒業してから
日本に留学しようとしたが、日本で日本語学校に
通うのは費用がかさみすぎる、と北京で半年
日本語を勉強。日本にきてそのまま阪大経済学部に
入学。

ところが卒業後、ゼミの中で彼女一人だけが
企業に就職できなかった

セキさんは日本人よりもある種日本人ぽい感じの、
可愛らしくてよく気がつく、控えめな人で、
昨今の不況の中、パワーのある新人を欲しがって
いる日本企業からみると、ちょっとおとなしすぎる
ように見えたのかもしれない。

また、外国人であることに加えて、卒業と同時に
結婚していたことも就職にはマイナスに働いたと思う。

中国人のご主人との結婚生活は幸せそうだったが、
せっかく頑張って大学を卒業したのに、実践で
活かせないことが歯がゆくてしかたない様子で、
北京へ帰りさえすれば簡単に就職できるのに、
とよく言っていた。

だが、ヨーロッパ系IT企業のSEとして日本で
頑張っているご主人を置いて自分だけ北京へ帰る、
というわけにもいかず、悩みは深刻そうだった。

「派遣でもアルバイトでもいいから、まずどこかで
働きはじめれば?」

と薦めたが、それすらもなかなか容易ではないようで、
何か資格の勉強をしていたようだが、職歴が
ないのに資格を取ったとしても就職はやはり
難しいだろうな、と思った。

彼女のように、イマイチうまくいかなかった人の
話は地味で面白くなく、家族も大声で語らないので
埋もれていってしまうのだろう。


しばらく前の新聞で見たのだが、最近では高い
お金をかけて留学しても、帰国した後の待遇は
特別良いわけでもなく、”これでは何年たっても
モトが取れない”と留学ブームは沈静化しつつある
そうだ。

中国自体が豊かになった今、一山あてようという人
には確かに出国は魅力的な選択肢ではなくなりつつ
あるのかもしれない。

ただし、出国の理由は生活水準の改善だけではない。

広州でネットワークエンジニアをしている知人で、
今移民申請中の人がいるのだが、この人の話はまた別
の機会に。

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2005年09月03日

出国物語-その2

もう一人の先生、社さんの話。

社さんは30代後半のすごい美人で、アメリカ人
のご主人と結婚したばかりだった。日本語は
3人の先生の中で一番上手で、ほぼ日本人と
見分けがつかなかった。

彼女は北京で大学を卒業後すぐ来日。日本で
大学院に通いながらレンタルビデオ屋でアルバイト
をしていたが、卒業後はそのレンタルビデオ
チェーンのフランチャイズ権を買って、吉祥寺で
店を開き店長をしていた。

開店後数年は商売繁盛していたのだが、近所に
TSUTAYAができたことや、業界全体の低迷から
経営が苦しくなり、店番はアルバイトに
任せて自分は中国語教師を始めたところだった。

ちなみにご主人のマークはこのビデオ店の客
だったそうだ。

こういう経緯なので、社さんは語学教師と
してはベストとは言い難かったが、
中国人らしい中国人とはどんな感じか、
を知るいい機会にはなった。

極端に負けず嫌いで、負けないために
努力を惜しまない人だった。

彼女よりずっと後になって日本にやってきた中国人
留学生が卒業後、日本で仕事を見つけられずに
中国へ帰ってしまうことに対し、

「海外に出るのに覚悟が足りない。外国人なのに
そんなにいい仕事があるわけないじゃない、
何でもやらなきゃ。本当に甘ったれてるんだから

と手厳しかった。

彼女自身がどうやってフランチャイズ権を
買うお金を貯めたのか、とか日本に滞在する
ビザはどうしていたのだろうとか、いろいろ
疑問はあったが何となく聞いてはいけない
ような気がして聞かなかった。

どんな手段を用いたにしろ、大変な苦労をしたに
違いない。自分が苦労したので、他の中国人が
甘ったれて見えたのだろう。

彼女の両親と二人の兄は全員、北京で医者をしている
そうで、家族で唯一変り種の社さんを心配して
いたらしい。

「里帰りの度に北京に戻ってこい、と言われるけど
日本が好きだから帰る気はないの」

社さんが日本を気に入っていたのは嘘ではないと
思うが、帰らないのは家族に対する意地の部分が
大きかったような気がする。

10歳年下のご主人、マークは日本で英語教師の
アルバイトをしていたのだが、日本食をまったく
うけつけず、ハンバーガーばかり食べているせいか
すごい肥満体。

中国語はもちろんのこと日本語もまったく話せず、
全体にトロい印象の人で、お寿司が
大好きでスリム、
切れ者を絵に書いたような社さんとは何とも
釣り合いがとれていなかった。

社さんはマークと付き合い始めてから英語の
勉強を始めたそうで、二人の会話はあまり
ちゃんと成立しているようには聞こえなかった。

社さん曰く:

「日本人とも何人もつきあったけど、いざとなると
みんな逃げ腰になっちゃって
。(<彼女の
パワーには大抵の日本人男性は圧倒されるだろう)
日本人はもうダメだ、って見切りをつけてマーク
と付き合ったらあっという間に結婚することに
なったの」

このマークだが、英語教師の仕事も嫌い、日本にも
馴染めない、とダメダメで故郷のアラスカに帰りた
がっているのを社さんが必死に止めていた。

北京、東京と都会でしか暮らしたことのない社さん
は結婚式の時、見渡す限り雪野原しか見えない
マークの実家に行って「ここで暮らすのはとても
無理」と思ったのだそうだ。

が、私が中国に来たしばらく後、彼女から
”やっぱりアラスカに行くことにした”
と連絡が。

どういう心境の変化かは分からないが、結婚した
以上、その結婚を大事にしようと決めたのだろうか。

その後、彼女からの連絡は途絶えてしまったが、
今頃はまた、新しい土地で一旗揚げようと
頑張っているに違いない。


最近ブログをきっかけにリアルの世界で知り合いが増えてきて
なかなか楽しいです。

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2005年09月02日

出国物語-その1

中国に来る前、教育訓練給付金を利用して半年ほど
中国語を勉強した
。 教育訓練給付金は、まず最初
に自分で授業料を支払い、決められた課程を修了
して初めて給付金が支払われるという仕組みなのだが、
仕事が忙しく休んでばかりいる間に中国へ行く日
が近づいてきてしまった。

30万円(今は金額が減ったらしいが)をフイに
してしまっては大変なので、
 退職してから渡中する
までの3週間、3人の先生に交互に教えてもらって
ギリギリで課程を修了させた。

この3人の先生は偶然にも全員北京生まれの女性で、
それぞれ日本人、中国人、アメリカ人の男性と日本で
結婚していた。

3人とも大変興味深いバックグラウンドの持ち主だった
のだが、中国人の多くが夢見る”出国”を果たした
3人の「その後」の話をご紹介したいと思う。


まず最初に80年代はじめに来日した張さん。

彼女は北京大学法学部を出て、鉄鋼会社で働いた後、
私費留学生として日本にやってきた。

この時、日本円にして30万円を持ってきたそうだが、
来日前の彼女の月給が1000円未満だったそうで、
30万円がいかに途方もない大金だったか想像が
つくというものだ。

映画の脚本家をしているお父さんの影響で、小さい
ときから外国映画に親しんでいた張さんはいつか
絶対に海外で暮らすと決めていたのだそうだ。

彼女はご両親ととても仲が良かったようで、既に
亡くなってしまっていたご両親の話をよくして
くれた。

張さんのお母さんは貧しい家庭の出身で、学校にも
通えず字も読めないまま、北京のある工場で働いていた。

周囲の人が同じ工場で働く男性を何人も紹介して
くれたが目もくれず、30歳をだいぶ過ぎるまで結婚
しなかった。

「工場の男性と結婚したら一生このまま
貧乏暮らし
。絶対に裕福な人と結婚する」

と決めていたのだそうだ。

結局、希望通り映画脚本家として成功していた
張さんのお父さんと結婚することになった。
(中国では身体障害者への偏見が厳しいのだが、
お父さんは生まれつき足に障害があってなかなか
結婚できなかった)

張さんは自分の意思の強い性格はこのお母さんに
よく似ているのだ、と言っていた。

さて、日本語学校に入学してアパートを借りると
持ってきた30万円はあっという間
なくなって
しまった。

北京ではかなりのお嬢様だった張さんが勉強の傍ら
大久保駅前でティッシュ配りのアルバイトで食い
つなぐ日々。

その時知り合ったバイト仲間の日本人のご主人と結婚。
すぐに
女の子が生まれたため、大学院に行くという夢
は断念した。

その後はずっと自宅で中国語を教えているそうだが、
ご主人との仲があまり良くなく、そのせいかどうか
張さんは軽いうつ病でずっと通院していた。

私も数回ご挨拶したことがあるのだが、ご主人は
(張さんによれば)典型的日本男児(?)で
男尊女卑の上、仕事をしていない時はバイクいじり
ばかりで全然話をしないのだそうだ。

「大変だった時に、ちょっと優しくしてもらった
からうっかり結婚しちゃったのよー。
何度も離婚して北京に帰ろうと思ったけど子供のため
と思って我慢しているうちに両親も亡くなって、
帰るところがなくなちゃった」

と張さんはあっけらかんと話してくれた。

もっともこのご主人も決して悪い人というわけでは
なく、自分が無口で話題がないのを埋め合わせようと、
ある日突然ラブラドールの子犬を買ってきたり
と憎めないところもあった。
(世話は張さんに任せきりだったが)
だから彼女も離婚は踏みとどまっていたのだろう。

どこでもそうだが、サクセスストーリーは広まり
やすいが、失敗談は埋もれてしまう。

中国人は知人が出国して大成功した、という話を
聞くと自分も!といてもたってもいられない
ようだが、そもそも(合法的に)出国できるのは
元々中国で豊かな暮らしをしていた層に限られる
ので、張さんのように出国して果たしてよかった
のかどうか?なケースも多いはずだ。

明日以降書くが、実はあと二人の先生の場合も
出国して半分成功、 半分失敗といった感じだ。

もっとも何が成功で何が失敗、という判断は難しい。

張さんの場合は、言わば成り行きではじめた
中国語教師の仕事がとても気に入っていた
ようで、生徒の中国語が上達するのが最大の
楽しみだと言っていた。

日本に来なければ、国営企業で幹部として出世
していたかもしれないが、鉄鋼業界では今ごろは
業績不振で四苦八苦だったかもしれない。

もちろん、中国語教師という仕事に出会うことも
なかったわけだ。


時々メールを送ってきては、「早く結婚しろ」と
他人の結婚問題に興味シンシンなところが
どこまでいっても中国人ぽい張さんなのでした。

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2005年08月13日

商売人のDNA

中国ではちょっと頭を働かせればいろいろ商売の
チャンスがある。本当にちょっとした知恵と度胸で
チャンスを掴んだ友達の友達、陳小姐(女性、22歳)
の話をご紹介。

陳小姐はアフリカ(正確な国名は不明)で昨年
インターネットカフェをオープンしてこれが大当たり。
そのお金を元に、近々大型スーパーをオープンする
べく準備中だ。

ごく普通の家庭の出身である陳さんがどうやって
インターネットカフェ開業資金を貯めたか?

これがすごい。

広州にはいくつかメジャーなイベント広場がある。
たいていはショッピングモールの正面玄関や、
繁華街の中心にあって、旧正月や国慶節などの
大型連休のときには、さまざまな企業が販促の
イベントを行う。

彼女はこのイベント会場を早々と予約して押さえて
しまい、使いたい企業に使用権を高値で売りつけた
のだ。

要はイベント会場のダフ屋。

人気のあるイベント会場は宣伝効果も高くて
ひっぱりだこなので、彼女は一番高値を提示
した企業を選んで売りつけることができる。

簡単といえば簡単だが、これを20歳そこそこの
女の子がやってしまうところが中国だ。そして
これを元手にアフリカで商売、というのも日本人が
考えつかないスケールだ。

まったく、中国人はDNAから商売人なので
あります。
 

明日から1週間旅行に行ってきますので、更新お休み
させていただきます。パワーアップして(ネタを仕入れて)戻ってきますので少々お待ちください。
   ↓
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2005年08月11日

同じ釜のお粥を食べた仲間

今日は日帰りで香港に行ってきた。

香港は中国に返還された今でも、相変わらず行き来
には 出入国手続きが必要なのだが、今日の入国は
かつてないほどひどく混雑していた。

中国で暮らしていると行列するときは横入り
されないよう左右後方に目を光らせ

それでも順番抜かしする輩には

「並びなさいよ!」

と、威嚇しなくてはならない。

ところが、今日はみな整然と行列している。自動的に
”戦闘態勢”に入っていた私は拍子抜けしてしまった。
ひょっとして私が一番

大陸丸出し?(泣)


今日は時間節約のため直通電車を利用した。
バスやフェリーなど他の交通手段に比べて倍くらい
の交通費がかかる。大陸の人達でこれを利用して
いるのはそれなりに裕福な人達だけ。

要するに”金持ちけんかせず”ということですな。


さて、せっかく香港まで出てきたので、香港人で
十数年来の友達のジョイスと一緒にランチを食べた。

彼女は日本の大学を卒業した後、アメリカに渡り
ロサンゼルスで働いていたのだが、勤務していた
会社の倒産をきっかけに昨年香港に戻って きた。

今は香港を代表する大企業、美心(ケータリング、
レストランなどを多くもつ総合外食チェーン。華南
地区のスターバックスもこの会社が経営している)
で働いている。

さて、昨年11月に彼女と会ったときには相当疲れた
様子だった。

「香港で仕事するのはすごいストレス。毎日夜9時、
10時まで働いても終わらないくらい仕事があるし、
それから混んだバスで1時間かけて帰宅しないと
いけないし。やっぱり生活するのはアメリカが一番
楽ね」

ちなみに彼女は大陸への店舗展開の仕事 をして
いるので、しょっちゅう中国各地へ出張している。

「何が大変って大陸の人はいろんなことが
いいかげん
だから一つ一つ細かくチェックしないと
いけないことよ」

中国人同士でもそう感じるんだからそりゃ
日系企業が苦労するのも当然だ。
 
が、今日会った彼女は以前に比べてだいぶ元気
そうだった。

「この前会ったときは仕事変わるって言ってなかった?」

「香港ではどこに行ったって忙しいのは同じような
ものだし、今の会社は待遇はまあまあだからもう
ちょっと様子をみることにしたの。最近大陸の
スタッフとうまくやるコツも段々分かってきたしね」

よかった。それを聞いて、私も安心した。

それにしても、彼女が日本に留学していたころ、
よく吉祥寺の安い香港料理屋でお粥を一緒に
食べながら将来どうしてるかな?と話しあったものだ。
 
よもや香港でこうして一緒にランチしているとは思わ
なかったが、あれから十数年たった今も、お互い
将来の着地点はぼんやりとしか見えない。
 
二人ともまだまだ道のりは遠いね〜(笑)

 
でもお互いに今の状態が結構気に入ってたりします(笑)
  ↓
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2005年07月30日

友達の輪

中国でビジネスをするにはコネが大事、などと
書いたものをみたことがあるが、私の印象では
そんなことはないと思う。
 
もちろんコネはないよりあるにこしたことはないが、
多くの外地人("他所の土地から来た人"という
意味の、大変よく耳にする単語でやや軽蔑の
ニュアンスがある)が広州で何のコネもなく
裸一貫から起業して成功している。
 
コネは最重要ではない。製品やサービスの質と
価格が一番重要なのは中国だってどこだって
変わらない。

 
が、実はビジネス以外の日常生活の場では人的
つながりはとても大事だ。

日本人は誰に対しても一定水準のサービスを提供
するが、中国ではそうとは限らない。たとえば電話
で何かややこしい問い合わせをして、それが電話を
受けている本人に利益をもたらすものでなければ、
相手にされない
可能性が大だ。

よって中国で人に何かやってもらおうと思ったら:

 
一回目は電話ではなく必ず先方に出向く
       ↓
まず座り込んで、お茶でも飲んで少し世間話し、
「お友達になりましょうね」光線を発する
       ↓
場がなごんできたところで初めて用件を言う

 
・・・・とまあこう書くとなんとも面倒に感じられるが、
結局これが近道だと、中国にしばらく暮らしている
人なら分かるはずだ。
 
さて、来月四川に旅行に行く予定なので旅行会社
にいろいろ問い合わせをしているのだが、中国で
ツアーではなく、自分で足や宿のみ予約して移動
するのは実はちょっと大変なのだ。

 
自分が今いるのではない都市間の汽車は原則
手配できないし、飛行機は手配はできるが割高
になってしまう。

今回、成都を経由して九寨溝にいく予定なのだが、
友達のハイインの小学校の同級生(!)が成都
に住んでいて大変お世話になった。彼がいなくては
今回の旅行はずっと高くついていたと思う。

彼ら二人はもう10年近くも会ってないそうだが、
今でも連絡を取り合っていて、今回見ず知らずの
日本人のためにいくつもの旅行会社に問い合わせ
をして、その上おそらく彼の月給以上の予約金を
立て替えて旅行会社に払ってくれたのだ。
 
なんともすごい友達パワーだ。
 
中国では知らない人を信用できないので、友達を
大事にするという面もあるのだが、そういう意味
では中国で生きていくのは、日本以上にその人の
人間関係構築力が問われるといもいえる。
 
究極の”外地人”である私は、なおさら努力が必要なのだ。
 

今夜か明朝あたりカウンターが1万に届きそうです。
10000のキリ番を踏まれた方、ぜひコメントを残してくださいね〜。
なんか特典がある、かも?
 
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2005年07月29日

新世代チャイニーズドリーム

広州に住んでて広東語ができないと、やはり
何かと不便だ。

カゲ錬をしてこっそり広東語が聞けるようになって、
周囲が広東語で内緒話しても聞き取れるように
しよう!と性悪な目標を抱いて勉強中。
 
私が今使っているのは広州の出版社が作った
テキストだが、これが中国語以外の語学テキスト
では到底お目にかかれないであろう例文が
てんこ盛りの逸品。
 
「多くの外地人が広州に仕事を探してやってきます」
「仕事がつまらないので、こっちから辞めてやった」
「おめでとう。君は成功したね!」
「現代社会では手に職がなければ喰いっぱぐれる」
「頑張って勉強し、名門大学に入らないといけない」
 
中でも、もっとも”らしい”のがこれ。

「サラリーマンをやってても埒があかない。
やはり起業しなくては」
 
起業とは言っても、ラオバン(社長)をするのは、
リスクもあるしストレスも大きい。それより中国で
オイシイのは個人事業主として仕事をすることだ。
 
なぜなら大変簡単に脱税できるからだ
 
中国では近年まで、ほとんどの人が国営企業で
働いていて、それ以外の人は税金を取り立てるに
値しない「可哀想な人々」だった。なので、税制が
フリーランスという働き方を想定していないのだ。
(もっとも最近は税金を納めていないとパスポートを
取るときに問題があるらしい)

さて、私が時々広東語を教えてもらっているウオル
ターは同時通訳もこなす一流の英語通訳だ。聞いた
ところでは同時通訳のギャラは1時間1000元を超える
(前にも書いたが大卒初任給が月2000元前後だ)
らしいが、彼も税金は最低限しか納めていない。

ウオルターは大学で英語を勉強した後、ソニーを
はじめいくつかの外資で働いたがやはり会社勤めは
大変すぎるとフリーランスを選んだ。最初はあまり
仕事がなくて大変だったそうだが、今では仕事が
選べる立場だ。

最近の若者にとって、チャイニーズドリームの意味
するところは、社長をするより、こうしたフリーランス
での成功に移ってきているように思える。

「私はフリーランスなの」と得意げに言う若者に会った
ことも何度もある。

アメリカではすでに全労働人口の4分の1が個人事業主
だという統計を見たことがある。これが社会の発展して
いく方向だとするなら、この点では中国はすでに日本を
追い抜いている。

まあ、税制が整備されたら多少は変化があるかも
しれないが、それでも”サラリーマンをやってても
ラチがあかない”という事態はそう簡単に変わら
ないだろうと思う。
 

カゲ錬では語学はなかなか身につかないのが難点です(泣)
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2005年07月21日

忘れ得ぬ光景

今年の旧正月に某大型ショッピングモールで
チョコレートの屋外販売会をやったときのこと。
 
15元(約200円)分の商品を買うとその場で
ボラロイド写真をとってもらえるという内容だった。

ちなみに中国人は一般に写真が大好きでデジカメも
普及しているが、それでも大卒初任給が2000元
前後の国で2500元程度するデジカメは誰もが気軽
に買えるものではない。

最初は通りかかるすべての人に声をかけていた
のだが、そのうち、見るからにお金持ちそうな人
以外は声をかけても無駄、ということが分かってきた。
 
テイクアウト弁当なら3元でお腹いっぱい食べられる
この国で、チョコレートひとつに15元出せるのは
やはり1部の金持ちだけなのだ。
 
イベント用に雇った販促小姐たちもだんだん要領が
分かってきて、身なりのいい人にしか声をかけなくなった。
 
が、一人の販促小姐がついうっかりしたのか、
いかにも農村から出てきて、ショッピングモールを
見物(買い物ではなく)に来たらしい親子に声を
かけてしまった。
 
一目で肉体労働者と分かる、真っ黒に日焼けして
ボロボロの上着を着た父親と5,6歳の息子。
 
旧正月は、中国人にとっては1年で一番重要な行事で
農村からでてきた人も皆、1-2週間田舎に帰るのだが、
この親子はどうして広州に残っているのだろう?
汽車代もないのだろうか、それとも旧正月も休まず
仕事をするのだろうか。
 
小姐も「しまった」というような顔をしながらそれでも
声をかけた以上は最後まで説明を続けた。
 
小姐のトークを聞き終わった父親は、ほんの少しの間
考えた後、静かな声で口を開いた。
 
「チョコレートを買えば、タダで写真を撮ってもらえるの
ですね?」
 
小姐がそうです、というのを聞いて彼は15元で
チョコを買った。
 
カメラから出てきたボラロイド写真を受け取った
息子は真っ白の紙からからだんだん画像が
浮かびあがってくるのを見て大はしゃぎ。
ひょっとして写真を撮ってもらうこと自体、生まれて
初めてだったのかも知れない。
 
父親は満足そうにその様子を見ていたが、
 
「お兄さんにありがとうを言いなさい」
 
と言うと、息子はポラロイドを撮ったカメラマンに向かって
 
「ありがとう」
 
と礼儀正しく頭を下げ、二人は楽しそうにその場を
離れていった。
 
その日、数百枚の写真を撮ったが、写真の写り具合に
文句を言う人は大勢いても、カメラマンにお礼を
言ったのはあの親子だけだ。
 


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2005年07月20日

あるおのぼりさんの物語

注意!お食事中の方はご遠慮ください)
 
私の以前のルームメイトの話。その2
 
以前、このブログに何回か登場しているシャオフーと
シャオパンと私の女2人男1人の3人で3LDKをシェア
していた。
 
最初に一緒に住んでいた女の子が結婚して出て
行った後に引っ越してきたのがシャオパンだ。
 
シャオパンは、名門南京大学の薬学部を卒業した後、
医療専門誌の記者をしているエリートだった。が、
見た目は小さくて可愛らしく、11月(広州では夏の
終わり)からブーツを履き始めるおしゃれさんだった。
 
シャオフーはシャオパンがとても気にいったようで、
彼女が引っ越してきてからしばらく、しょっちゅう
一緒にDVDを見たり、夜に隣のマックにアイス
クリームを食べに出かけたりしていた。
 
         が、
 
彼女が引っ越してきてから1週間もたたない
うちに悲劇は起こった。
 
ある日、彼女が朝出勤してからシャオフーが
悲壮な顔で私に言った。
 
「今、トイレに入ったらウ○チが浮いてた。。。
 
彼が入る前にトイレに入ってたのはシャオパンである。
 
まさか!にわかに信じ難い。
 
が、1回くらい流し忘れることもあるだろうと(普通ない
と思うが)、その場はそれで忘れることにした。
 
が、翌朝。またシャオフーが洗面所に入ったと
思ったらすぐ出てきた。
 
「今、シャワーを浴びようとしたら
僕のタオルが湿ってた。。」
 
中国人は一般にシャワールームの壁に各人の
タオルをかけっぱなしにして2,3日使ってから
交換する。
 
シャオフーとシャオパン2人もシャワールームの
壁のフックにタオルをかけていたのだが、シャオフー
のタオルは湿ってるのに、シャオパンのは乾いて
いるというのだ。明らかにシャオパンが彼のタオル
を使ったということだが、色も違うのにうっかり
間違うとは考えにくい。
 
その後も週に1回か2回、同様の事件が起こり、
我々2人の我慢は限界にきた。エリートの彼女に
 
「トイレは流しましょう」
 
「人のタオルを使うのはやめましょう」
 
などと、幼稚園児に注意するようなことは言いづらい
のだが、言わなければどうしようもない。
 
が、彼女はそのときは「わかった」というものの
しばらくすると同じことを繰り返す。
 
どうも彼女は相当な田舎の出身で、そもそも衛生
観念がまったく違っているらしい。トイレも義務的
に流しているだけだし(だから時々忘れる)、
タオルを各人でなぜ分けなくてはならないのか、
よく分からないようだった。
 
可愛らしく社交的な彼女はよくモテ、しょっちゅう
BFを連れてきたり、外泊したりしていたが、
いつもあまり長続きしないようで頻繁に相手を
変えていた。
 
そりゃそうだ。
 
彼女の後にトイレに入って、ブツ浮かん
でたら百年の恋もいっぺんに覚めるという
ものだ。
 
が、彼女には彼らが去っていった理由がよく
分かっていなかったに違いない。
 
まもなく部屋の契約が更新時期を迎え、私と
シャオフーはもちろん更新せずに引っ越した。
 

念のために付け加えると、シャオパンの他には
こういう例を聞いたことがないので、中国では
よくあることなのか、とくれぐれも勘違いされま
せぬよう。

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2005年07月15日

中国人の恋愛(不倫)事情

以前一緒に暮らしてたルームメイトの話。
 
ヴィヴィアンは私が今までの人生で見た中で3本
の指に入る美女だった。
 
身長170cm, 藤原紀香をちょっとスマートにして
胸だけ大きくしたようなスタイルの良さに、チャン
ツイイーみたいな真っすぐで長い髪。時々黒い
レースのチャイナドレスで出勤していた姿は
女の私でも見とれるほどだった。
 
彼女は実は既婚でダンナと3歳の息子はシンセン
にいるのだが、彼女一人が広州で仕事を見つけ
たため、月ー金は私と一緒のアパートに住み、
週末はシンセンに帰るという生活だった。
 
彼女が引っ越してきた第1日目、すでに異常の
兆しはあった。
 
なんと、ダンナが30分おきに電話をかけてくるのだ。
聞くと会社にも同様に1日に十数回かけてくるという。
 
「ごめんね。びっくりしたでしょう。いつもこうだから
気にしないで」
 
そりゃこんな綺麗な奥さんだと心配するもの無理ないな....
とその時は思った。
 
が、ダンナの電話チェックは完全に無駄だった
 
ヴィヴィアンは広州であっという間に複数の
BFを作ったのだ。

が、どうやって毎日アパートの固定電話の方に
電話してくるダンナをだまくらかすか
 
彼女は本当にすごかった。
 
「夜11時には寝るからその後は電話しないで」と
言っておき、11時以降にいそいそとデートに
出かけるのだ
 
BFのうち何人かが家に遊びにきたことも数回ある。
ダンナもよもや、自宅で電話に出ている(ルーム
メイトも一緒に暮らしている)妻の横に不倫
相手が座っているとは思ってもみなかっただろう。
 
彼女曰く、
 
「大学の時は実家から通ってたし、卒業して大学
の同級生だったダンナとすぐ結婚したから、
ずっと一人暮らしにあこがれてたの」
 
一人暮らしって....アンタ、
 
一人の時間ぜんぜんないじゃん(笑)

さて、そうこうするうちに複数いたBFは彼女の
勤務する会社の副社長(彼も既婚。つまりW不倫
1本に絞られ、遊びの不倫はだんだん本気になって
いった。
 
が、この副社長、上海への栄転が決まると、あっさり
ヴィヴィアンを捨てて上海へ行ってしまったのだ。
 
これをきっかけに彼女の社内での立場も悪くなり
電卓で計算してからエクセルに入力
するという、ありえないPC能力にもかかわらず、
彼のひきたてでマーケティングマネージャーの
役職についていた)、彼女は会社を辞めて
シンセンに戻っていった。
 
その後彼女がどうしているかは知らないが、
あの調子では今もダンナは彼女の会社に
電話攻撃していることだろう(笑)
 

 
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